スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

荒井憲徳物語 vol.013

~最終回~

 さらに、大田原市のMAXジムを、2005年に現在の場所に移転・オープン
させることが出来、その後2007年12月に那須塩原市のATCフィットネス本店を
移転し、2倍以上の規模でオープン致しました。

「ATCフィットネス」「MAXGYM」のロゴマークは商標登録を取り
オリジナルグッズを作るようになり、さらに「オリジナルプロテイン」を
2008年2月に発売することが出来ました。


そして、会員様に心から楽しんで頂き、自然に足を運んでもらえるような
施設を作っていくことが私の理想です。


 トレーニングマシンがあり、スタジオ内でのレッスンを行っていても肝心の内容が
楽しくなければ、やがて会員様は離れていってしまうと思います。

 これから目指すのは、「ここに来ると楽しい!」と会員様が思える様な
施設作りだと思います。

 さらに、これから先求められる人材とは、会員様1人1人の会員様の目線で考え
的確な対応ができるスタッフ。活気あふれる雰囲気作りが出来るスタッフに育って
もらうことです。

 今現在試みている物がスタジオ内での「ジムスティックレッスン」に、演歌、アニメ
ハワイアン音楽を掛けることにより、バリエーションを広げ、会員様はもちろん
スタッフも楽しめるように工夫しております。

 さらに、「キッズ格闘技教室」では、パンチングミットやサンドバッグに怪獣などの
キャラクターを貼り付けることにより、普段あまり熱心に練習をやらなかった子も
熱心に練習に取り組めるようになりました。

「楽しみながら運動し、その結果、効果が出てくれれば」と、私は考えております。



※荒井憲徳物語は今回をもちまして終了とさせて頂きます。
今まで当ブログを見て頂いた方々、ありがとうございました。
 
                                      荒井 憲徳

スポンサーサイト

荒井憲徳物語 vol.012

~創業期 4~

 やがて、経営も順調になって来て、私はここで、勤めていた会社を辞め
ジムに専念する決意をしました。

会員様の目的に合わせて指導し、解らない点があれば勉強し、栄養面は
栄養士の妻に聞き、大会に出場する会員様には、大会でなるべく
成績を残せるように指導をしました。

 もちろん、私自身のトレーニングも欠かさず続け、多くの大会に出場しました。
そして、オープン6年目には会社を個人から法人にし、この頃から
週2~3日アルバイトを雇いました。

 そして、その頃結婚をしました。妻は外で仕事をしていましたが
仕事から帰ってきてはジムを手伝ってもらうといった日々が続きました。
妻には本当に苦労をかけたと思います。

 
 売上が出れば、その分新しい器具を買い、設備投資を重視しました
会員様に喜んでもらえるように毎年入れられるだけ新しいマシンを
導入していきました。
 
会員様に喜んでもらえることが私の喜びとなり、その私の考えが
会員様に受け入れられ始めてきました。

そして、6年目には旧黒磯のジムを増築し、7年目には
隣町の大田原にMAXジムをオープンさせることが出来ました。

荒井憲徳物語 vol.011

~創業期 3~

そんな生活も2年半。仕事とジムを両立させ、「熱意があれば何でも出来る。」
と思ってがむしゃらにやっていたが、結果大赤字となってしまいました。

私もこんな生活が続くと肉体的にも精神的にも疲れが出始めて来ました。

ふと「俺は経営者には向いていないんじゃないのだろうか。皆が言うように
やめたほうが良いのだろうか・・・」
といった不安も出て来ました。

そこで私は、オープン当時からお世話になっている会計事務所の方に相談
してみると、こういった返事が返ってきました。

「荒井さん、それは違うよ。荒井さんの所は最初の設備投資に費用が
かかっているだけで、会員は年々増えているよ。あと2、3年頑張って
みてはどうですか?」

そう言われ私は、それまで以上に頑張りました。
そして、オープン4年目。

会員さんもオープン時の3倍以上の160名を超え、ジムの経営も安定してきました。

夢の実現のために重ねてきた苦労、それを支えてくれた家族の苦労が報われた
4年目でした。



荒井憲徳物語 vol.010

~創業期 2~

 ジムのオープン、実は周囲は猛反対でした。

「ジムとスタジオだけで食べていけるか」

当時、東京でさえプール無しのフィットネスクラブの成功は少ないし
難しいと言われていた。

会員さんに長く続けてもらえるように、トレーニングを楽しんでもらいたいがために
マシンの充実も必要でした。

たくさんの人を一気に集めるのではなく、私が指導できる範囲で
1人1人目的に合わせた指導をしていくには50人という少数の会員で
始まった事は良かったのかも知れません。


しかしながら経営は難しいものでした。


初年度は最初の5ヶ月で350万円の赤字。2年目は200万円の赤字。

その上、私はジムのオープン前から父親との約束があり、父親は病気で仕事が出来ない為
毎年60~100万ほど生活費を渡す事を続けていたので大変でした。

昼間は仕事をして、夜は遅くまでジムの指導。日曜日も休みなく働いた。

私の夢に付き合ってくれた家族の生活を守るためにも頑張りました。
周囲の「いつまでもつか」という言葉をよそに頑張り続けた・・・。



荒井憲徳物語 vol.009

~創業期 1~

また、こんなこともありました。
トレーニング中、突然激しい痛みが腰に走ったので病院に行くと
「脊椎分離症」、しかも2ヶ所が分離していると診断されました。

先生:「入院した方が早く治る。その上ウェイトトレーニングはやめて
治療に専念しなさい。ひどくなると歩けなくなるかもしれませんよ。」

私:「私は、通院はするけれど、入院はしません トレーニングもやめる
つもりはありません。先生、今は車イスの大会もあるんです。」


医者泣かせの患者でした。


その後、弱気になった時には精神を叩き直す為に1人でホノルルマラソン
(フルマラソン)に参加。みごと完走して自分自身を奮い立たせた。

それからの私は入院もあり、アパートを出て自宅から通うようになり
往復4時間、仕事、ジム、土日はバイトという日々を送りました。


「県北には無かった、大会にも出られるジムを作りたい。」の一心で。


強くなるためにいっそう練習に励み、1日の睡眠時間を削り、仕事の他に
バイトを何件もかけもちし、資金を貯め、一生懸命に取り組んだ。

そして25歳の時には後楽園ホールでアームレスリング全日本大会
75㎏級レフトハンドで優勝し、パワーリフティング大会でも
全日本大会同級で最高2位、オールジャパンで優勝。


理事会で、ボディビル、パワーリフティング、アームレスリングの公認の
許可を得て、28歳の時に県北に大会にも出られるジムをオープンさせる
ことが出来ました。

プロフィール

ATCフィットネス

Author:ATCフィットネス
ATCフィットネス、MAXジムの情報をお届けします。

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
訪問者数
ブログ内検索
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。